【江戸切子】という言葉が広まったのはなんと昭和の終わり頃から

2011-01-20

江戸時代の後期、華やかな時代を象徴するかのように江戸と薩摩でガラス工芸品が誕生した。それがカットグラスこと薩摩切子と江戸切子である。淡い仕上がりが特徴の薩摩切子は薩摩藩主島津家が中心となって発展させたが、明治維新とともに技術が廃れ、伝統が途絶えた。一方、カットが深く華やかな雰囲気がある江戸切子は、庶民の手で始まり、今も受け継がれている貴重なガラス工芸品である。ただし、当初から江戸切子という名で親しまれていたわけではなく、その名称が広まったのはじつは昭和も終わりのこと。東京カットグラス工業協同組合によると、それまでは「カットグラス」と呼ばれていたという。じつは戦後、足立区、江東区を中心として作られたものを「江戸切子」と呼び始めていたが、その名がなかなか広まらなかった経緯がある。なぜかというと、外来品という意識が強かったというのが理由のようだ。そのため江戸切子を作る職人でも「カットグラス」と呼ぶ人のほうが多かったという。それが「江戸切子」として定着したのは、昭和六十年以降のこと。前出の組合が東京とその近県の一部で作られるカットグラスを「江戸切子」という名で都に申請し、東京都伝統工芸品に指定されたことがきっかけとなった。その名と作品がメディアで取り上げられ、一般にも認識されたのである。いわば、東京の切子が「江戸切子」というブランドを獲得したというわけだ。

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